古くから日本人は月を愛でる風習があります。
今でもお月見は日本中に浸透していますよね。月を見上げたときにこみ上げる気持ちは、日本人特有のもの。月は日本人にとって特別なもの。和歌からもその気持ちが伝わってきます。
あなたも月の和歌に酔いしれてみませんか?
「中秋の名月」の由来とは?
中秋に月を鑑賞する習わしは、元々は中国が発祥。上流階級の人間だけでなく、庶民にも親しまれていた風習なのです。
日本に伝来してきたのは平安時代の事。平安貴族たちの間に瞬く間に広がり、月を見ながら雅楽に酔いしれお酒を飲み交わす宴が執り行われるようになりました。今でいうお月見ですね。
平安時代のお月見の「月を見る」というのは、月を見上げるというものではなく、川面に映った月を眺めたり、盃に映り込んだ月を楽しんだりという、今よりも風流なものだったのです。
室町時代になると、お月見が若干変貌していきます。お供え物をするようになったのがこの時代。宗教観が出てきてしまうわけです。月を風流に楽しむものから、月に祈る内容へと変わっていったのですね。
そして江戸時代。お月見は庶民にも広がり、十五夜には芋煮を食べ、お団子を供えるといった今のようなお月見に変わっていきました。
古来から親しまれているお月見ですが、風情を楽しむという意味でもこの先無くならないでほしい日本の伝統的な風習なのではないでしょうか。
中秋の名月にまつわる、ほろ苦い恋のうた
中秋の名月をモチーフにした和歌は、ほろ苦い恋の和歌が多数あります。甘く切ない恋心はいつの時代も変わらないのです。
*「今来むといひしばかりに長月の 有明の月を待ち出でつるかな」西行法師(さいぎょうほうし)
訳:すぐ行くというあなたの言葉を信じ私は毎晩待っています。でもとうとう九月の月が出てしまいました。
愛しい人を待ち続ける女心が伝わってくる和歌ですよね。上流階級は現代のように女性が簡単に外に出られる時代ではなく、ただひたすらに男性の来訪を待つしかありませんでした。
信じて待つことしかできない身がもどかしかったかもしれませんね。切ない大人の恋のうたです。
*「秋の夜も名のみなりけり逢ふといへば 事ぞともなく明けぬるものを」小野小町(おののこまち)
訳:秋の夜長というけれど、それは名ばかり。想い人に逢ってしまうとあっけなく明けてしまうのです」
愛する人と過ごす時間はあっという間。これも現代と変わらぬ女心を恋の和歌の名手である小野小町がうたっています。
古今和歌集には小野小町の和歌がたくさん入っていますが、どれも切なくも甘い恋の和歌。時代は変わろうとも、ひとの気持ちは変わらないからこそ愛され続けているのでしょうね。
*「月々に月見る月は多けれど 月見る月はこの月の月」詠み人知らず
訳:夜ごと現れる月、愛しいあなたもこの月を見ていますか?
詠み人知らずの和歌の中でもとても有名な和歌です。「月」の登場回数が多いので耳に残りやすくもありますよね。
月が、今も昔もロマンチックだったことが伺えるのではないでしょうか。同じ月を見ているであろう愛する人への想いが伝わってきますよね。
中秋の名月にまつわる和歌に込められたオトナの想いとは? まとめ
中秋の名月は、月に想いを馳せる和歌を生み出しているようですね。和歌には馴染みが薄いという人の方が多いものです。
でも、秋という季節はセンチメンタルになったり抒情的になりやすい季節。
あなたも月を見て一句詠んでみませんか?
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