祇園祭は京都の夏の風物詩で、毎年多くの来場者で賑わいます。
特に、先祭りと呼ばれる宵山と、後祭りと呼ばれる宵宵山は、人でごった返しになるほどでです。
普段なら歩いて15分ほどの四条から三条京坂あたりまで、30分以上、ひどい時は1時間もかかってしまいます。
浴衣で下駄を履いていると、体感的にそのくらいかかるので、体力勝負です。
さて、そんな祇園祭ですが、きちんと歴史を知っている人は少ないと思います。
今回は、祇園祭の歴史と由来を説明し、もっと夏の京都に親しんでもらおうと思いました。
京都 祇園祭の由来とは?
もともと、京都の祗園祭は御霊会というものが由来とされており、これは朝廷によって神泉苑で開かれました。
御霊とは、広くこの世に怨念を残した霊のことです。つまり、わかりやすく言えば怨霊という悪い霊のことです。
大昔、我々の先祖たちは、何か病があると、天罰だとか、霊の仕業だと考えていました。
これは西洋でもそうですが、神の天罰、悪魔のせいという思想が残っています。
西洋でのペストの流行などもそうです。
それと同じで、怨霊が悪さをするために、大きな流行り病が蔓延したと考えられ、
それを鎮めるために御霊会が度々開催されました。
祇園祭は、実は7月まるまる全部をかけてのお祭りで、京都の祇園四条にある八坂神社が行っています。
ですので、お祭りのハイライトとなる宵山や宵宵山以外にも、花傘巡行など、豪華絢爛なイベントがあるのです。
祇園祭の歴史は大変古く、貞観11年(869年)が起源とされています。
起源とされる年には幾つかの説がありますが、八坂神社ではこれを起源としています。
オフォシャルサイトなどを見てもわかります。
京都 祇園祭の歴史とは?
994年には、何と617人以上の貴族が流行り病で死ぬという大事件があったくらいです。
これは当時京都だけでなく、日本にも大きな衝撃を与える事件となりました。
そして、だんだんと今の祇園祭の形式に近くなっていくのですが、それはだいたい室町時代の頃です。
一時期応仁の乱があったので、祇園祭は中止されましたが、明応9年(1500年)には、復活しています。
平安時代から、66本の鉾を立てて、祇園の神様を祀っていますが、
それが現在の山鉾巡行の原型となっています。
この66本の鉾は日本各所の名前に由来しているのです。
八坂神社はスサノヲノミコトを祀っていますが、彼が旅に出た際に蘇民将来から恩恵を受けたことなどから、祇園祭では「蘇民将来子孫也」というお守りをつけています。
八坂神社では花傘巡行(毎年7月24日)の際に、舞妓さんの歌舞踊も見られますので、神社へ足を運ぶのも風情があって良いです。
京都 祇園祭の歴史と由来とは? まとめ
今回、京都祗園祭の歴史と由来について紹介しました。
祗園祭に行かれる際には、このような歴史背景などを知った上で行くと一層楽しめると思います。
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